社会人1年目に感じたこと
前回のブログに書いたような経緯で就職を決め、翌年の4月からいよいよ社会人としての仕事がスタートしました。
社会人1年目に感じたことを思い返してみると、とにかく「自分の力のなさ」でした。
そして、社会人1年目の自分は、「自分の力のなさ」に向き合い続ける毎日を過ごしていました。
授業、教務はもちろん、電話対応、事務作業、さらには掃除などの諸雑務。
小さな塾だったので、何から何までしなければなりませんでしたが、すべてにおいて満足にできていない状況でした。
同じ塾の仕事でも、学生時代にアルバイト講師として勤めていた時とは違い、生徒が塾に来ていない時間も、1日みっちり、仕事をしなくてはいけません。
最初の数カ月は、1日中みっちり仕事をする仕事体力もなかったので、集中力が途切れ、ケアレスミスも多かったように覚えています。
塾で高校生を教える大変さを知る
最も大切な業務の「授業」についても、対象が中学生から高校生に変わったので、アルバイトを始めたころの感覚に立ち返りでした。
毎日、仕事を終え、クタクタになって家に帰ると授業準備をしなければなりませんでした。
毎授業ごとに、板書ノートを作り、授業を組み立てるところから始めなければなりませんでした。
組み立て始めると、中学生を教えるのとは少し勝手が違いました。
高校で扱う知識量が断然多いので、授業中に知識を定着させるための「演習」をする時間が取れないのです。
でも、授業で提供した「知識」を生徒たちが吸収し、定着させてもらわなければ、授業をしている意味がありません。
生徒たちが授業に興味を持ち、「この内容っておもしろいなぁ」「忘れないうちに早く復習しておこう」と思ってもらい、復習を実践するように仕向ける必要があるのです。
そのためには、授業内容に「なぜ、そうなるのか」という「深掘り」した、知識の背景を織り込む必要があります。
勉強を覚えることを中心としたものから、考えることを大切にするものにしなければなりませんでした。
この知識の「深掘り」が大変でした。
知識は無限にあり、「深掘り」しようと思えば、いくらでも「深掘り」出来てしまいます。
しかし、「深掘り」するためには、まず自分が知識に確信を持つために、それまで曖昧な状態で頭の中に入っていた知識を再確認したり、周辺の知識も確認しておく必要があります。
「深掘り」しようと思えば、内容的には無限に出来きますが、下準備のための自分の知識と時間には限りがあります。
現在は、インターネットの発達で、検索すれば知識がすぐ手に入る時代ですが、当時は簡単に「知識」を得ることはできませんでした。
だから、とにかく授業の下準備や下調べに膨大な時間を費やす必要があり、ほんとうに苦しかったです。
「塾は勉強のプロであるべきであり、塾とは、生徒が『わからない』ことを教えるだけではなく『わかならい』ことの解決方法を教える存在であるべきである。」
と考えていた私は
何とかして、自分自身も『わからない』『できない』を解決し、知識を得るだけでなく、
問題を解決する方法を構築するために頑張り、自らの考えを体現する必要がありました。
社会人1年目の私は、自分の時間のほとんどを仕事に費やしていました。
ひたすら、授業準備のために下調べを繰り返し、プリントやテストを作るためにワープロに向かっていたように思います。
56歳の現在の私のように、仕事を終えて飲むビールの味もまだ知らず、どんなふうにストレスを発散していたのかもほとんど覚えていません。
しかし、今思えば、社会人1年目の苦しさが、今の自分を支えてくれているように思えます。
(つづく)
コメント