高校生を教えるようになって感じたこと
前回のブログに書いたように、社会人1年目の私は日夜授業の準備に追われていました。
この生活は2年目になっても大きく変わることはありませんでした。
1年目よりも任される授業が多くなったので、去年した授業の見直しにプラスして新しく担当する授業の準備に時間を割かれていました。
仕事量という面だけから見たら、楽になるどころか、むしろさらにハードになっていきました。
しかし、よくしたもので時間の経過とともに、時間の使い方や仕事をする手順などを考えるスキルが少しずつ身についていったのでしょう、やることは増えているのにもかかわらず、何とかこなすことができるように成長してゆきました。
さらに、3年目になると、物理的な仕事量は増えていましたが、精神的には少し「ものを考える」余裕が生まれてきました。
この当時考えたことは、「高校生の勉強の難しさ」でした。
これについては、今なお考え続けているテーマです。
そして、今なお考え続けているからこそ、
今なおこの仕事に向き合おうことができ、
今なおこの仕事をさせてもらっているのでしょう。
目の前に座る、真剣で深刻な生徒たち
「中学生の時、成績が良くトップレベルの高校に合格し、入学して半年もたたないうちに勉強がサッパリになってしまう。」
こんな、高校生が数多くいます。
なぜだろう?
どうすればこの状況を打破させてあげることができるのだろう?
どこの高校でも順位付けをすると、数字の上では1番から最下位まで必ず生じます。
しかし、レベルの高い高校では最下位といっても、その高校に入学する力のある生徒であるので、「サッパリわからない」というのはおかしいのではないか?
何が問題なのか?
当時の私は、そのような高校生に数多く通ってもらっていた「塾」に勤め、先生をしながら、彼らを目の当たりにして、そんなことを考えていました。
今から30年以上前は、普通の高校生が入学当初から塾に通うというケースは、今ほど多くはありませんでした。
当時、団塊ジュニアの世代が高校生で、非常に人数も多く、国公立・私立ともに難関大学と呼ばれる大学への現役合格者の割合は3割程度だったと記憶しています。
だから、はじめから現役合格を諦め、浪人を覚悟しながら、高校入学から大学入学まで4年間あると考えている高校生もいたほどです。
だから、塾に通う生徒の大半が高校3年生でした。
そんな状況の中で、高1や高2の前半から塾に通うというのは、将来について、よほど真剣に考えているか、現状によほど困っているかのいずれかでした。
とにかく、目の前には真剣で深刻な生徒たちが私の目の前にいたのでした。
そして、「真剣に頑張っている生徒たちの期待に応え、出来るはずなのに出来ない生徒を救ってやらなければ、そして救う力をつけなければ」と思い始めていました。
(つづく)
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