入社3年目で見えてきた未来
前回のブログに書いたように、社会人になって3年目くらいの私は、日々の授業準備や自分自身の勉強に忙殺されながらも、私自身が考える「塾」を模索するようになっていました。
また、同時に高校生を対象にする塾で仕事をするようになって、いろいろな話が自然と耳に入ってくるようになりました。
- 金銭にまつわる諸々の話
- 当時予備校の人気講師がすごい収入を得ているというような話
- ○○先生が△△予備校に行くことになったというような転職の話
私自身もこの先、どのようにこの塾業界で生きていくのかということを考え出し始めました。
20代中盤の私にはまだいろいろな選択肢が考えられました。
- 勤めている会社を大きくする
- 授業力を高めて、人気予備校講師になる
- 独立起業して自分の塾、自分の会社をつくる
- ぜんぜん違う業界にチャレンジしてみる
などなど
大学を卒業するころの私は、将来は独立起業の意志を強く持っていました。
しかし、その頃には「勤めている会社を発展させる」という愛社精神も芽生え大きくなってきていました。
新部門の責任者にチャレンジ
とにかく、20代中盤の私は、「自分の意見を聞き入れてもらえる可能性が高いだろう」「いろいろな仕事ができ、いろいろな角度で勉強できるだろう」と考え、就職した会社であるので、そのメリットを享受するためにできるだけいろいろなことにチャレンジしながら考えを決めて行こうと思いながら仕事をしていました。
ちょうどその頃、会社の中で、浪人生を扱うという話が出てきました。
勤めていた会社はそれほど大きくない塾ではあったのですが、地域の高校生にはそれなりに評価を受けていた塾でした。
その知名度を生かして、浪人生も指導しようという話でした。
私は、その話は今後のことを考えると、自分にとっても大きなチャンスととらえました。
チャンスと考えた理由は大きく3つありました。
1つ目は、会社が1から立ち上げようとしているプロジェクトですから、成功したら、大きく会社に貢献したことになるだろうという考え。
2つ目は、1からの立ち上げだから、既存のものではないので、自由度の高い仕事ができるのではないかという考え。
そして3つ目は、高校に所属していない浪人生への指導は、塾が一人一人の生徒に対して責任を以って受験勉強をコーディネートする必要があるので、自分の描き始めていた「塾像」に近いのではないかという考え。
とにかく、すぐに「私にさせてほしい」と手を挙げました。
希望はすぐに通り、まだまだ若造の私が、新しく始める浪人生部門の実働部隊の責任者となったのです。
社会に出て、3年目が終わろうとしている私は、早くも大転換のときがやって来ました。
(つづく)
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