浪人生部門、失敗したらクビになる!?
前回のブログに書いたように、私は社会人4年目から、会社が新しく立ち上げる浪人生部門の実働部隊の責任者となり、新たな仕事がスタートしました。
浪人生部門は、1から手探りで作っていかなければならなかったので、ほんとうに大変でした。日々がトライ&エラーの連続でした。
まずは、生徒を集めるところからのスタートです。
現役高校生を集めることは、それまでにも携わっていたので、自分の中にいくらかのノウハウがありましたが、浪人生となると勝手がまったく違いました。
浪人生にとっては「塾」ではなく、高校を卒業した後に所属する「学校」なので、4月の授業開始のときには、生徒が揃っていることが前提でした。
高校生のように、友達に紹介され徐々に生徒が増えてくるということはないのです。
そして、会社からの指示は、「4月の新年度スタートまでに、とにかく浪人生を25人集める」これだけでした。
当時の私は「出来ないと、クビかお給料減ってしまう」
それより「先生ちゃうやん!営業の仕事やん!」と途方に暮れましたが、
若さもあって、「それならそれでいい。やるだけのことはやってやろう!!」と腹をくくって新しい仕事がスタートしました。
忘れられない2ヵ月間
その年の2月から3月の生活はそれまでとはまったく違ったものになりました。
地域の高校に訪問して、知ってもらうために、進路指導の先生や自分の知り合いの先生に話を聞いてもらいました。
「もし条件の合う生徒がいたら、候補の1つに上げてもらえるように紹介してください。」
とアナウンスして回りました。
夕方からは、毎日毎日電話でした。
当時は、今と違い、高校には生徒名簿というものがありました。
その名簿には、生徒の名前、住所、電話番号が記載されていて公然のものでした。
その生徒名簿を見ながら、上から順番に電話をかけていき、話を聞いてくれそうな人がいたら、塾の概要を説明し、さらに興味を持ってもらえたら塾に直接来てもらい、さらに詳しく説明するのでした。
50件電話して1人か2人くらいしか話を聞いてくれませんが、6つくらいの高校の名簿を持っていたので、3000件くらいには電話したでしょう。
電話で、話を聞いてさえくれれば、その後の段階に進むので、仕事をしている気持ちになりますが
即電話を切られることが続くと、ほんとうに「何をしているのかわからない」という気持ちになりへこみました。
それでも、へこみ続けている暇はありません。
とにかく4月までに25人の浪人生を集めなければならなかったので、ダメでも前に進むしかなかったのです。
今、思い返しても、あの時の2か月間はほんとうに苦しかったです。
それまでの、仕事に対する苦しさとは違う種類の苦しさでした。
いわゆる、売り上げを背負って仕事をするプレッシャーを毎日毎日感じていました。
結果、28人の生徒が4月の授業スタートの段階で、集まってくれました。
この28人という数字は忘れられない数字です。
とにかく、会社から示されたノルマはクリアすることができ、クビにならず、減給されることもなくてすみました。
(つづく)
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